彼は晩年ほぼ毎日日記をつけており、現在『鷧斎日録(いさいにちろく)』として読むことができます。
杉田玄白は68歳の時、インフルエンザのような重症感染症にかかってしまい、治療の様子が日記に記されています。。。
『解体新書から』(千葉大学図書館蔵) |
『鷧斎日録(いさいにちろく)』によると、享和2年(1802年)3月12日の夜半から熱が出て、3月13日にはしゃっくりや吐き気が出てきて、その後こじらせてしまい、一時期人事不省になってしまったようです。
結局、2週間程度で無事回復したのですが、この時杉田玄白は、どんなお薬を飲んで自らの病気を治療したのでしょうか?
杉田玄白は、40歳の時に『解体新書』を発刊していますので、68歳の時には蘭方医として多くの弟子達に囲まれていたはずです。きっと珍しい蘭方のお薬を飲んでいたのでしょうか?
『鷧斎日録(いさいにちろく)』の続きを読むと、「ウニコール」という蘭方で用いられた高貴薬1種類以外は、実は何と漢方薬の名前がずらっと並んでいます!杉田玄白は、自分の病気を漢方薬で治していたんですね!
例えば、
「麻黄湯(まおうとう)」 → 現在でも、風邪やインフルエンザの初期に使われる漢方薬です。エキス剤もあります。
「麦門冬湯(ばくもんどうとう)」→ 現在でも、しつこい咳に使われる漢方薬です。エキス剤もあります。
「生脈散(しょうみゃくさん)」→ 現在でも、発熱などで体に水分が足りなくなった時に、体調を回復させる目的で使われる漢方薬です。清暑益気湯(せいしょえっきとう)というエキス剤の成分です。
*****
蘭方医として一世を風靡していた杉田玄白ですが、治療薬として漢方薬の価値をきちんと評価していたことがわかるエピソードだと思います。
彼はその後も、83歳で亡くなるまで、診療、教育、執筆活動と大いに活躍したようです。(T.K.)