昨日のブログで登場した「キク科キクニガナCichorium intybus」というと、西洋の野菜というイメージなので、お恥ずかしながら私はチコリーコーヒーぐらいしか連想できませんでした。
江戸時代の本草家の先生たちは、チコリーについて知っていたのでしょうか。ちょっと、調べてみました。
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『養生訓』で有名な江戸時代の本草学者である貝原益軒は、『大和本草』(やまとほんぞう:1709年刊行)「菜蔬類(さいそるい)・紅毛萵苣」の項目で、下記のように述べています。萵苣(ちさ)というのは、今で言うレタスの仲間のことですね。
「ヲランダチサ:葉につやがなく、その形も他の萵苣(ちさ)と異なる。葉の味は他の萵苣と似ていて食用にすることができる。四五月に、碧色の花がつく。花の形は単菊に似ている。朝開花して、夕方にはしぼむ点は、木槿(むくげ)の花のようだ。」と述べています。
貝原益軒はチコリーの葉を実際に食べていたのでしょうか?
貝原益軒はチコリーの葉を実際に食べていたのでしょうか?
その百年後の本草学者である小野蘭山は『本草綱目啓蒙』(1805年跋)「菜之二・萵苣(ちさ)」の項目の中で、こう述べています。萵苣(ちさ)には数種類あると説明した後で、その一種として「ヲランダヂサ」が登場します。
「ヲランダヂサ:ハナヂサ、キクヂサとも呼ばれている。生で食べても、煮て食べても良い。初春に一つの根から葉が叢生し、まるで千葉牡丹の花のようになる。その後、花茎が伸びてきて二三尺となる(一尺は約30.3cm)。花茎からまず葉が互生して、葉間から長めの枝が伸びる。夏になると、葉間ごとに花が開く。花の形は蒲公英(キク科タンポポ)の花に似ていて、しかしその色は深い藍色を呈す。花は朝に開いて、午前中に色が変わり、その後しぼむ。」
キクニガナの花を撮影しようと、私は浅はかにも診療が終わった夕方に薬草園に行ったのですが、花は見事に全部しぼんでいました。そこで、朝の診療前に薬草園に行って撮影したのが、上の写真です。T.K.