引き続き、『養生訓』を少しずつ現代文に意訳して行きます。
*****
ある人から「ご隠居様や、社会に出ない若者など、自由に自分の時間が取れる方は、養生法を行うことができるかも知れません。しかし、夜も昼もなく仕事に追われて、時間が取れない自分のような者は、とても養生法はできそうにありません。」と言われました。
これは、私の養生法について知らない方から出る疑問であり、こうした誤解が生じるのは仕方ないでしょう。
これは、私の養生法について知らない方から出る疑問であり、こうした誤解が生じるのは仕方ないでしょう。
私の養生法は、ただのんびりと過ごすということではありません。心を落ち着かせつつ、身体を動かすのが良いのです。身体を動かさないでいると、かえって「元気」が滞ってしまい、病気になります。たとえて言えば、流れる水は腐らず、蝶番(ちょうつがい)の軸は錆びないようなものです。身体を良く動かしている方は長寿になり、あまり動かさない方はかえって短命となります。
このような理由で、どのような職業の方も、まず身体を動かしてご自分の仕事に励んで下さい。これが、養生の第一歩にもなります。
このような理由で、どのような職業の方も、まず身体を動かしてご自分の仕事に励んで下さい。これが、養生の第一歩にもなります。
(貝原篤信
編録『養生訓』巻第一 総論 上から)
*****
上記のように、益軒先生は「身体を動かしてご自分の仕事に励んで下さい。」とアドバイスされています。
しかし、益軒先生の時代から300年が経過し、科学技術が発達した現代では、健康的に身体を動かせる仕事が少なくなり、1日中デスクワークを続けたり、コンピュータを見続けたりする仕事が増え、「心の安静」が保てなくなっている方も多くお見受けします。
もし益軒先生が現代にいらっしゃれば、『心の安静が保てなくなるほど仕事にのめり込むことは避け、適度に身体を動かしましょう。』などとおっしゃったかも知れません。
「心の安静を保つこと」と「適度に身体を動かすこと」は、養生訓全篇に流れる大切なテーマの一つです。(T.K.)
底本は、千葉大学附属図書館によりデジタル化され一般公開されている『養生訓』(貝原益軒の没後百年にあたり刊行された版)です。
http://tabito.ll.chiba-u.jp/da/koisho/56853/?lang=0&mode=0&opkey=R145180270346168&upmetapid=309&cidx=1